山子路爺のネパールトボトボ旅ー最終回 [ネパール]
BC〜アタック〜BC〜チクン〜ディンボチェ~パンボチェ~フォルチェ~ルクラ~カトマンズ~ムンバイ~日本
★アタック
0時にBCを後にした
真っ暗な闇の中ヘッドライトの小さな明かりは前をゆくラメッシュのブーツを照らしていた
砂地の道を行くと建物の脇を通ると……建物?……建物なんかあったけ(多分自分の勘違い)……で、この後はただただ空腹感に苛まれて……5,900M付近で相談の結果引き返す事に……前日事故もあったしね。
と言うわけで目的のピークにはたどり着けずに帰国の途につく事になった次第です。
ピークに立てなかった無念さを背中で語るサブガイドのジャパン
気に良い貴方に又会えると良いね
見上げる岩峰に何を思うのか、メインガイドのラメッシュ
来春プモリの頂上に立てると良いね
姿が良いアマダブラム……母の首飾り
いつも見守ってくれてありがとう
日が完全に暮れるまでロッジの外の階段に突っ立って山を眺める
タムシェルクとクスンカンガルーかなぁ~
眺めの良い崖で休んでいると
ザックを前後に背負って登ってきた単独行のフランス人
一言二言ことばを交わして
別れ際に何故かガッチリ握手
同じような年恰好にお互い共感したのかも
大きな力強い手だった
存分トレッキングを楽しんでね
雪と氷と岩に鎧われたネパールの山々
多分見納めかな
出来ることなら今一度……
★おまけ……情けない事
朝……否、夜中に起き上がろうとしたとき……首に激痛が……翌日歩行困難……でも歩かなきゃ日本に帰れない。
朝食を無理やり詰め込んで、ソロリソロリと急な坂道を谷底まで下ってみたが、どうにもこうにも、背中まで痛みが走って……これより先の行程をを全うする事はできそうも無いと判断……協議の結果ヘリ要請……取り敢えずヘリが着陸出来そうな平坦地まで登り(他人の畑)待機
交渉1
ヘリ会社……運賃の取りっぱぐれ警戒・誰が出すのか決定するまで飛ばない
保険会社……緊急時以外のヘリは自己負担・事態を把握するまでは結論が出せない
現場 …………具合が悪いのだからさっさと迎えに来て欲しい・代金の立て替えを誰がするのか(コーディネーターが本人か)話し合う・こんなにモタモタしてたら緊急の時に間に合うのかなぁ
中々Goサインが出ないまま寒い中に突っ立ていると、空から白いものが……寒さに体が震える
交渉2
そこへ新たな登場人物が……現地語なので細かな所は分からないが、多分次にようなやりとりが……
地主「お前ら俺の畑でなにやってんだ」(ちょっとおかんむり)
ラメ「病人が出たのでヘリを呼んでいる。平坦地が見つからないのでここにヘリを着けたい」
地主「ここは俺の畑でヘリポートでは無い」
ラメ「緊急事態なのでなんとかここを使わせて欲しい」
地主「そんな事は俺とは関係ない。あくまでもここは俺の土地だ」
ラメ「そこをなんとか……」
地主「そんな事を言われてもなぁ〜しょうがない、少し使用料を出せ。2000ルピーでどうだ……ちょっと荷物を家においてすぐ戻って来るから相談しておけ」
というわけで2000ルピー彼に渡した途端、ニコニコ顔でしかも日本語で「ありがとう」……一同爆笑。
そしてヘリが離陸するときには弾ける笑顔で手を降るのであった。
ルクラで一旦降りて天候待ち……1時間半後にカトマンズに向けて離陸……病院の救急車が迎えに来てそのまま2泊3日の病院暮らしの後ホテルにチェックイン……嗚呼情けない!
交渉3
3日後ヘリ代の請求が来て市内の事務所へ……事務員が領収書は後日郵送(?)すると言うような事を言い出すのでまたまたスッタモンダ……結局空港近くの本社まで行ってやっと解決(それにもかなりの時間を要した)
知らない土地に行くと色々あるもんですね。
ヘリ代50万円強も建て替えたし、お土産の紅茶も仕入れたし、ガイド達と最後の食事も済ませたし、色々ありましたが(ネガティブな事例がこの他にも)それはそれ、約1ヶ月のネパール滞在を予定通り(?)終えて無事に日本に帰れることと相成りました。
乗り継ぎのムンバイでANA機に乗り込みアテンダントさんの笑顔にホット一息……成田までBM聴きながら爆睡……成田からのリムジンバスでも爆睡……疲労困ぱいのていでした。
追記:もう一度ネパールに行ってリベンジしたいと言った所、家族全員口を揃えて「NOoooooooo〜!」……ですよねぇ。
追記:ヤクのフン混じりの土埃のためなのか、前半から喘息に悩まされました。かかりつけのDrにラインで相談しながら手持ちの薬で乗り切りました。しかし特筆すべきは、あんな山奥でWi-Fiがなに不自由なく使える事に感動しました。日本の山小屋では……。
以上中途半端なネパール旅行記でした。
2018年 ネパールトレック約一月間
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