谷川岳肩の小屋―諌 [奥利根/北関東]
あの時もこの鐘はあったのだろうか……
あの時…冬季開放部の扉を開けて中に入ると三人の先客が火にあったていた。
一人がチラリとこちらを見て「どうぞ」と火のそばにまねいてくれた。
霧の中を来た私はしっとり濡れていて、チョロチョロと燃える炎がありがたかった。
彼「どこから?」 私「西黒から」
彼「怖い所なかった?」 私「一箇所、トレースがマチガ沢よりに回り込んでいて…」
彼「ああ、無事で何より。どこを下る?」 私「天神を」
彼はコクリとうなずき私との会話はそこで途切れた。
彼には、山の経験も浅く、技術も見識も無い未熟者が、アイゼンも着けずもちろんピッケルも持たずに、春とはいえ雪に覆われた西黒尾根を登って来るとは馬鹿者以外の何者でもないと見えたのに違いない。
彼らの話題はほとんど谷川岳東面のことだった。それを聞きながら、先ほどの会話の中に無謀な私に対する「諌」を感じていた。
少し遅れて最後に外に出ると、三人の姿はすでに無く、どこに向かったのかは分からなかった。
六月初旬の重い空からついに雨が落ちてきたが、気持は驚くほど軽く、安物の登山靴は天神尾根へのトレースを拾っていた。
谷川岳肩の小屋―思い出 [奥利根/北関東]
コーヒーを注文して……
初めて肩の小屋に入ったのは大学一年の八月末だった。
ほとんどの部員が帰省中で不参加だったが、東京が自宅のK君と私だけがこの山行から逃れることが出来なかった。
土合駅のホームに降り立ち階段を見上げたとたん気持ちが萎えた。
ようよう五百段弱を上り終え改札を出たときには、「帰ったら退部届けを書こう」と決心していた。
不公平な荷物になかされ、かなり遅れて肩の小屋に着いた。
次の日、悪天候のため平標山への縦走を取りやめ天神尾根から二俣へと下る事になり、心の中でバンザイを叫んだ。
東京に帰ると、ガスの切れ間に見えた東尾根の岩稜と二俣から仰いだ俎嵒山稜、それに小屋番が出してくれたお茶の味が心に残っていた。
思えば、この頃より山の魔力に取り付かれてしまったようだ。