志賀高原 [上信越]
元日の朝
6時30分、カーテンの隙間から外の様子をうかがう。
黒々と見える岩菅山と空の境に僅かに雲があって、淡いピンク色に染まっていた。
天気は上々だ。
ダウンジャケットを羽織って駐車場に出たが、冷気は容赦なく襲ってきて、尾根の上に太陽が顔を出すまで待つことは出来なかった。
部屋に戻ろうと歩き出すと、樺林を透してオリンピックコースの上部に光があたって輝いているのが見えた。
あの辺りまで登ればよかったなと、私の2013年は小さな後悔で始まった。
2013年1月 志賀高原にて
スタッドレスが泣いています―戸隠山の夕日を待つ [上信越]
深いわだちの刻まれた登りの雪道に愛車を走らせて、山が見える所で日没を待った。
高妻山の頂上に雲がたなびいて、そうこうしているうちに勢いづいた雲は山全体に広がる気配だ。
西岳の少し西、太陽の沈む方向を見ると、更に雲が厚くその中に入った太陽は形すら定かでない。
このまま待っても夕焼けの空は期待できないようで、寒さも増してきた事だし、写真は諦めて帰ることにした。
帰り道、先ほどまで碧かった空は黒雲に覆われ、そこからはらはらと冬の名残の雪が落ちてきた。
三月中旬の戸隠では、冬と春とが押しくらまんじゅうをしていた。
2012年3月 戸隠山の麓にて
スタッドレスが泣いています―戸隠奥社 [上信越]
今年の冬、わが愛車(年代物の四駆)は全く活躍の機会に恵まれなかった。
昨年12月に、暮れから始まるスキーシーズンに向けてスタッドレスに履き替えたけれど、一度志賀高原に上がったきりで、その後は舗装道路でタイヤの表面を削るばかりだった。
この度、用事で北信州に出かける機会を得たついでに、私の場合どちらがついでなのか分からないのだが、戸隠神社奥社にお参りに行くことにした。
信州中野インターを過ぎると、周りの景色は一変……まだまだ冬だ。
雪は道路上にこそ無いが周りは白い色ばかりで、SAには除雪した雪が屋根の高さほど。
「シメシメ、戸隠に続く道では四駆+スタッドレスの威力を発揮できる」とほくそ笑む私。
奥社を往復に1時間ほどみればいいだろう。
16時、参拝者に踏み固められてツルツルになった参道を歩き出した。
鳥居をくぐって、ツララの下がる萱葺きの門をくぐって、最後に急になった道に足をとられながら奥社本殿の前に。
本殿は深い雪に埋もれて、そのすぐ後には戸隠山の岩峰群が迫り、やはりここには神様が在わすだろうと思わせる。
最近はパワースポットブームとかやらでわんさかと人が来るらしいが、この日は時間も日暮れ間近だったせいもありここには私たちだけで、静かなお参りが出来た。
約30年程前、始めて冬の戸隠に来たときには、鳥居から奥に一筋のトレースがあるだけで、今日の様に参道全体が踏み固められてはいなかった記憶がある。
そのときの登山靴などは持参していなかったので諦めて帰ったが、今にして思えば、惜しいことをしたものだ。
さてお参りも済ませたし、いそいで下って戸隠山全体がよく見える所に移動しよう。
2012年3月 戸隠山麓にて
スキーの帰り―廃線予定 [上信越]
志賀高原からの帰り松代に立ち寄った。
街道を歩きながら北の方に目をやると、時々高妻山の白い三角形が見えた。
なかなか松代駅が見えてこないので、通りがかりの人に尋ねると、歩いて来た方を指差して丁寧に教えてくれた。
こりゃ、山なら遭難だなあと思って、我ながら少し可笑しくなった。
午後五時近くになると辺りはすっかり暗くなり、さっきまで見えていた戸隠の山並みも闇に消えようとしていた。
ちょうど電車が入って来て何枚か写真を撮った。
この四月で長野電鉄屋代線は廃線になる予定と聞いた。
スキーを始めたころ、上野発急行「志賀」直通湯田中行でこの駅を何度か通った。
時代の流れと云えばそれまでだが、なんだか寂しような、自分が随分年老いたような気持ちになって、来た道をとぼとぼ宿に帰った。
2012年1月 長野電屋代線 松代駅にて
0泊2日バスの旅 [上信越]
行きたいところは?と聞かれれば勿論答えは「山」と答えます。
先週も北アルプスに出かけてきたわけですが(記事は後日UP予定)、常々妻はかなり不満なのでありまして……今回は彼女の意見を取り入れて「花火見物」に行くことに。
さて花火の写真の撮り方は?……三脚は必帯?バルブ撮影?リレーズ?フィルムカメラが面い?絞りは?露光時間は?……なにせ初めてなもので、ない知恵を絞って……用意したもの……カメラレンズ付2台(デジタルとアナログ)、三脚(押入れの奥から引っ張り出して)、フィルム、リレーズやヘッドライトなどの小物等等。
しかし、妻の「桟敷席で見るので三脚なんか他の人に迷惑になるからよしたら」の意見ですべて白紙。
結局デジイチ1台だけ持って、写真はおまけにして、でたっぷりと花火を楽しみましょう……チョット残念だけれど。
そんな訳で当日……
09時過ぎ:寝不足の目をこすりながら出発。
10時過ぎ:新宿のツアー集合場所到着。
10時30分:バスに乗り込み、一路長岡に向けて長いバス旅行の始まり。
14時30分:一旦関越を下りてゆきくら館(酒造会社)を見学……と言ってもお土産購入が目的……46度の日本酒「さむらい」もあるよ……下戸の私は地下の貯蔵庫で涼んで……再びバスに。
16時15分:会場到着。添乗員さんの後について長生橋と大手大橋の中間あたりの指定の場所に。
16時30分:備え付けのブルーシートを広げて各自席を確保。横になれるほどのスペースがあり、これなら三脚も立てられるぞぉ(一応NGなんだけど)、隣のシートでは早速三脚セットの御仁も……やっぱり持ってくればよかったか。
この場所は先日の集中豪雨で水没しヘドロなどがかなりたまったらしい。長岡市民の熱意でヘドロを取り除き石灰をまいてなんとか今日に間に合わしたとか。長岡の皆さんありがとう。
17時00分:続々お客さんが詰め掛け30分後にはこの区画の桟敷席はほぼ一杯に。
それぞれ弁当を食べたり、ビールを飲んだりしながら開始を待ちます。
開始まで2時間、フゥ~~。
19時00分:西の空に太陽が沈み、暗さがましてきました。
もう観覧席は桟敷席も椅子席も土手の席も人人人で埋め尽くされました。
そして
19時15分:暮れきらない空に開始の合図を告げる一発目が……
(初花火撮影で右も左も分からず、ただ夢中でシャッターを押していました。手振れ、ピンボケご容赦のほど宜しくお願いいたします。)
いきなり前触れもなく大手大橋側から……慌ててシャッターを……。
どやらこれは云わば前座か前説のもののようで……「行くぞぉ」と気合入れの打ち上げか……。
19時15分:長岡市長さんや石巻花火大会の実行委員長などの挨拶の後、本番開始。
進行係のお姉さんのよく通るこえで「……大震災ならびにこのたびの集中豪雨からの復興の祈りを込めましてフェニックス打ち上げ開始で御座います」の後ドドドドドドドォ~~ン!
すごぉ~~~い、ウォ~~~……観客のどよめきとともに、上がる上がる……ナイヤガラを従えて夜空一杯に花火の花が咲く、次から次へと。
写真はまったく撮れていない、タイミングが難しいぃ~。
ウォーウォーを言いながらシャッターだけは押し続けて……
とにかく闇雲にシャッターを切って……
写真に夢中になると花火を楽しめないので、たまには手を離して……
不死鳥フェニックスに始まり、べスピアススターマイン、ワイドスターマイン、ミラクルスターマイン、米百表尺玉百発、正三尺玉、天地人花火そして留めは百連発、あっという間の一時間四十分、楽しみました、堪能しました。たまには妻の言うことも聞くものです、アハハハ。
そして後で見るとどうにもならない写真ばかりで……アハハハ。
23時30分:自分のバスを間違えないように……なにせこの駐車場だけで170台以上のバスが……間違える人もいるだろうなぁ……花火終了の二時間後……東京に向けて動き出します。
途中何度かの休憩を取りながら……寝たような寝ないような……空が明るくなる頃に練馬到着。
04時40分:新宿着。
「楽しかったネ」に続けて妻の一言……「山より疲れたネ」……納得!
家に着く直前 「今度大曲の花火を……」 私「う~~~ん……」。
長岡の皆様、煙火師6人衆と関係者の皆様、バスの運転手さん、添乗員のお姉さん、感謝感謝感謝!
千曲川 [上信越]
2011年6月、千曲川の堤防にいた。
日本一長い川の本流を上流に辿れば甲武信岳にとどき、分かれた犀川は槍ヶ岳へ突き上げる。
雪解けの一滴一滴を集めて、いまや大きくなった流れを下流に下れば、やがて信濃川と名前を変えて日本海に注ぐ。
夏、今年はその犀川の奥、梓川のさらに先の槍沢に沿って歩いてみようかと想像をめぐらす。
雨が止んだ午後、雲間から漏れ来る光を受ける飯縄山を見ながら、ぼんやりとたたずんでいた。
キノコ汁―無料 [上信越]
お店の一番奥の炉辺に温かいきのこ汁。
「ご自由に」につられて一杯いただきます。
ナメコとエノキのコンビネーション絶妙、味噌はモチロン信州味噌。
運が良いとできたてで、運が悪いと「本日終了」のお知らせプレート。
信州中野インターそばの農産物直売所、名前は「オランチェ」。この辺りはリンゴをはじめブドウ、サクランボ、モモ等等、果物王国、季節季節で楽しめます。
我が家購入リストはサクランボ、ブドウ、モモ、ナガイモ、エノキダケ、リンゴジュース(ビン入り)、トマトジュース、キュウリとダイコンの味噌漬けなど。
リンゴだけは時期になると送られてくるので買いません。
どれもこれも美味しいよ。
帰路 [上信越]
山の姿も見えなくなった。
ヘッドライトが路面を照らす。
いつもながら気が重い帰り道。
今日の楽しかった事も遠くに去ってしまい、明日の憂うつが目の前に迫る。
仕事の段取りなど少しも浮かばず、次の山への思いばかりが頭を過ぎる。
やるせなさを胸に走る長野道から中央道、訳もなく急ぐ家路。